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余命わずかな家族との向き合い方ーー逃げない死、向き合う死

さて、家族の死についてです。

google などの検索エンジンの仕様上、個人ブロガーが死や病気などの記事を書いても検索上位には表示されないようになっています。

なのでこの記事を読む方もきっと少ないのでしょう。

といって、自由な個人ブロガーとして、この記事をインターネット空間に書き遺す意味もあるでしょう。なので私なりに、当事者本人やご家族向けにしっかりと書きたいと思います。

死に至る病気であることを隠さない。

隠そうと思っても隠しきれるものではありません。表情や言葉遣い、よそよそしい態度などで必ず伝わります。

また、嘘をつくことによる罪悪感を抱えることになります。

正直に話すしかないじゃないですか。

最後の最後まで一緒にいること。見放したりしないこと。新しい治療法の開発などで一縷の望みは消えていないこと。静かで落ち着いた空間で、正直に話しをするのです。

穏やかな話し合いにならないかもしれません。ただ、心の底からわだかまりなく、最後の家族の時間をすごすためには必要です。

それに本人にとっても、お墓のことや葬式、相続のことなど、自分の死後のことで準備をしなければならないことはあります。

患者の否認や怒りを理解する。

死ぬ瞬間(キューブラ著)64頁より引用

私達は死に瀕している患者200人以上にインタビューしたが、ほとんどの人は不治の病であることを知ったとき、はじめは「いや、私のことじゃない。そんなことがあるはずがない」と思ったという

死を告知された本人は、かならず否定します。否定するほうが通常のふるまいです。

「自分のはずない」と否認し、その後「なぜ自分が死ななければならないのか?」と怒りの感情を抱く。

多くの方は、否認や怒りの時期を乗り越えて抑うつ段階や受容の段階に進みます。ただ、数は少ないですが、否認や怒りの段階のまま、最後を迎える方もいます。

家族としてはどう振る舞うべきか?

難しいことですが、寄り添うことだと思います。

死ぬ瞬間(キューブラ著)94頁より引用

患者は怒りを表すことで安らぎを感じ、そうすることで最期のときをよりうまく受け入れられるようになろうとしている。

余命僅かな患者たちへのインタビューを通して、人間の死のあり方について書いた古典「死ぬ瞬間」の著者キューブラ・ロス医師は、死について患者と話し合うことを避けるべきではないと語っています。

それによって、患者本人(そして家族自身)の受け止めが進むからです。だれだって、怒りや絶望の中で死を迎えるよりも、穏やかな顔で最後を迎えたいでしょう。

大事なことは、見放さないこと。孤独ではないということを、言葉や態度で伝えることだと思います。

患者が抑うつの段階に至っても、寄り添う。

怒りの段階や神仏との取引(良いことをするから、死を先延ばしにしてほしい、など)の段階を超えたら、抑うつの段階に本人は至ります。

この段階が、家族にとっては一番つらいでしょう。本人は自分の死を受け止めつつあるということは、家族とお別れする気持ちを固めつつあるからです。

死ぬ瞬間(キューブラ著)193頁

この時期は、患者自身よりもその家族に、多くの助けと理解と支えが必要になる。死に瀕した患者は、いくばくかの平安を受容を見出すが、同時にまわりに対する関心が薄れていく。一人にしてほしい。せめて世間の出来事や問題には煩わされたくないと願う。

この時期では、患者を無理に励ましたり元気づけたりすることは不要です。

といって、遠ざけることではありません。

静かに、本人の近くにいること。そして必要におうじて、本人の求めに応じることです。

死ぬ瞬間(キューブラ著)193頁

患者とのコミュニケーションは言葉を使わないものになっていく。患者はただ手招きして私達を呼び、しばらくかけていてくれと伝える。あるいはただ私達の手を握り、黙ってそばにいてほしいと頼む。

最期までそばにいることを態度で伝えることで、患者は見放された感情を抱くことなく、穏やかに最期を迎えやすくなります。

自分自身の死と向き合う。

家で看取ることが一般的だった一昔前に比べ、最期の日々を一緒に過ごし、息をひきとる場面に立ち会う経験することも少なくなりました。

死は私達にとって身近なものではなく、死を意識したり考えたりすることはほとんどないです。

漠然と、死を忌み嫌い、遠ざけているのが一般的ではないでしょうか?

この無意識の考えは、家族の死期が迫ったときに態度や行動に出ます。

患者本人と死について話をすることを避けたり、無理に元気づけようとしたりしてしまうのです。

患者本人は、自分の死や、その後の準備(葬式やお墓など)について話し合いたいと思っても、家族のほうが拒否してしまうのです。

それは、本人の孤立感につながってしまいます。

死を忌み嫌うのではなく、死と向き合う必要があります。

それでも人生にイエスと言う(フランクル著)49頁

死は生きる意味の一部となっているということです。

人間は必ず死にます。死があるからこそ、生きている時間が限られているからこそ、生きている間の時間は貴重なのです。

死は人生の日々をかけがえのない日々にする存在だと言えます。また、「どういう死を迎えるか?」を考えることは、逆説的ですが「どう生きるか?」を考えることにつながっています。

自分にふさわしい死を考えることは、それに至るまでの、自分にふさわしい生の時間を考えることにつながるのです。

死にも、意味はあるのです。

漠然と死を意味嫌うのではなく、死と真正面に向かいあうことで、人生を豊かにすることができますし、また、患者本人の死とも向かいあうことができます。

患者本人と死について話しあうことを避けない。

続・死ぬ瞬間 死、それは成長の最終段階(キューブラ他著)43頁

人が死ぬときには、親しい者たちがその過程に参加することが重要である。それが悲しみの中で彼らの支えとなり、彼らが自分の死に対処するのをより容易にする。

人は死を迎えるとき、孤立感を感じやすいです。そんなとき、家族が近くにいて、死を含む様々なことについて会話をすることができたら、孤立感を感じることはありません。死を受け入れる「受容」の段階に進み、穏やかな最期を迎えることができます。

葬式の準備を生前にしておく。

最期に、不謹慎に見えるかもしれませんが、葬式の準備を生前にしておくことをおすすめします。というのも、ボッタクリに近い業者が多いからです。

家族が亡くなり、気持ちに余裕がないと、葬式のお金を吟味する余裕がありません。そこにつけこむ業者が残念ながらいるのが実態です。

生前に複数の業者の見積もりをとることをおすすめします。

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