前の記事からの続きの記事です。
前半記事:京都11歳殺害事件から考える“子どもを守る力【命を守る縁・前半】
地縁・血縁・社縁が薄れている現代。それらの縁にとって代わる可能性がある新しいつながり「選択縁」についてこの記事で考察をしたいと思います。
選択縁とは上野千鶴子氏の著書「近代家族の成立と終焉」に出てくる用語です。
上野氏は同年代の女性たちがお互いに選び合ってつながり、子育てや葬儀、離婚危機などのライフ・クライシスに協力して立ち向かう姿を観察しました。
一昔前、子育てや葬儀などのライフ・クライシスが発生したときには、地縁・血縁・社縁が力になってくれました。
社員に不幸があったときは、会社ぐるみで葬儀の手伝いをしましたし、隣近所のつながりの中で子育ては行われていました。
現代になり、地縁・血縁・社縁が薄れました。近くに頼ることができる健康な親がいる場合は力になってくれますが、そうでない場合、現代人は自分または夫婦という最小単位でライフ・クライシスに立ち向かうことを余儀なくされています。
そんなとき、力になってくれる可能性がある新しいつながりが「選択縁」です。単純化して書くと、「友達」です。
選択縁の特徴

選択縁の主な特徴は以下の通りです。
自由な関係

選択縁の最大の特徴は自由であることです。地縁・血縁・社縁の場合、メンバーはすでに決まっていて、自分で選ぶことができません。
一方、選択縁はメンバーシップからの出入りも自由です。また、「住居の共有(血縁)」や「経済的基盤の共有(社縁)」のように、生活するうえで欠かせない要素を共有しているわけではありません。
メンバーシップから出ても、不利益を被らない。その分自由で身軽な関係性を築くことができます。
メディア媒介型の性格

「近代家族の成立と終焉」が書かれたのは1994年。そこから30年経った現代では、ネットやSNS、オンラインゲームなどのつながりもあるでしょう。
メディアがきっかけだとしても、その後「対面接触」することが選択縁の特徴と言えます。
ある程度近く(中範囲)に居住している。

育児や介護・葬儀などのライフ・クライシスでは、「子どもの見守り」「親の通院の付き添い」など、実際にそこに居ないとできないことがあります。
ある程度近くにいないと力になることができない。
もちろん、遠くに居ても協力できることはあります。
「相談にのる」「お金を贈る」「情報のやり取りをする」「意思決定をする」ということであれば、海外に居てもやり取りはできます。また、訪問介護などを利用し、また、ある程度お金に余裕があれば通院の付き添いや買い物なども外部サービスで行うこともできます。また、様々な事情で一時的にメンバーが海外生活をすることもあるでしょう。
それでも「近くに住んでいる」とやはり強い。日頃から見守りをしたり相談にのることができますし、なにかのときにすぐに駆けつけることができます。

上の引用では、「生協や無農薬野菜の共同購入、子ども文庫や共同保育、公民館を拠点にした学習サークルやカルチャー講座の同窓生グループ、果てはママさんバレーやコーラスグループ」を選択縁として説明している一方、「PTAや町内会」を地縁として分けて説明しています。
前者も後者も、近隣に住んでいる人たちによるつながりです。ただ、後者が純粋な地縁的なつながりであるのに対して、前者は、近隣の中から「選んで」つながることができるメンバーシップです。
前者の場合、気があうグループを選んで加入すればよい。一方後者は、気があうグループかどうかを選ぶことはできない。そこに大きな違いがあります。
ある程度近くに住んでいることが選択縁の特徴ではありますが、完全な地縁ではないことも特徴です。
生活課題の共有

「目的の共有」よりも「生活課題の共有」と書くほうが私にとってはしっくりきました。
というのも、次に書くように、選択縁の特徴の一つが「同性・同年代のピアグループ」だからです。
同性・同年代のピアグループ

女性と男性では、抱える生活課題は違う現実があります。
また、子育て中の30代の女性と、親の介護をしている50代の女性では、生活課題が違います。ひらたく書くと、話があわない。それぞれが抱えている課題の解決につながらない。
敵の敵は味方、という言葉があります。同じことが生活課題にも言えるでしょう。
生活課題という共通の敵を共有しているからこそ、味方意識が強くなりやすい。つながりが強くなりやすいのだと思います。
平等な横社会。特定のリーダーやルールの不在。

同年代のつながりという特徴もあるのでしょうが、縦社会でなく横社会、平等主義であることも選択縁の特徴です。
社会の役割からの離脱

これは、引用そのままですね。選択縁の中では、会社や家族の役割から解放されて、個人としての付き合いをすることができる、と上野氏は指摘しています。
数人〜十数人の少人数グループ

食事を一緒にするにしても、多すぎたら込み入った話をすることはできませんものね。
地縁・血縁から完全に分離しない。

上野氏は社縁には触れていませんでしたが、私は地縁・血縁に加えて社縁も含まれるように感じます。
地縁・血縁・社縁は薄れたものの、いまだに強固でもあります。育児や介護、葬儀などのライフ・クライシスにおいては昔ほどではないですが、力になってくれます。
地縁・血縁・社縁から完全に分離するのではなく、選択縁の中に溶け込ませる。もちろん「お互いにとって気のあう仲間同士」「自由で平等なつながり」という前提を守ることが条件ではありますが。
地縁・血縁・社縁という入口からのつながりだとしても、気のあう人とならその後、選択縁に発展させる。
地縁・血縁・社縁と完全に分離しないからこそ、育児や介護、葬儀のようなライフクライシスにおいて力になってくれる可能性がある、と私は理解しました。
実際に選択縁は、ライフ・クライシスの力になるのか?

ケアマネジャーの仕事をしている都合、「介護」という切り口ではありますが、多くのご家族のライフ・クライシスに立ち会ってきました。
その経験から話をすると、選択縁はライフ・クライシスの力になってきた、と言えます。
まず、ライフクライシスにあっては、血縁が強力である、と言う必要はあると思います。
老親の危機にあっては、息子や娘の強力やケアがやはり強い。しかしながら、それだけではなかった。
認知症でゴミ出しや買い物が難しい人を手助けする近所住民たち。
「ババ会」と称して気のあう同世代の高齢のお友達と話をする高齢女性。場合によっては電車を乗り継ぎ、定期的に都市部でランチをしているという話も聞きます。
血縁だけではライフ・クライシスを乗り切ることが難しい現代では、気のあう友だち同士のつながりである選択縁もおおいに力を発揮しています。
なにより、自由で平等というつながりは、現代人にあっているように思います。
自分にあった選択縁を手に入れるには?

一つは、自分で創ってしまうことだと思います。今までの知り合い・友人の中から、気があう人たちを誘ってご飯を食べる。同年代・中距離居ないの距離の人たちで。
二つ目は、地域のサークルやイベントに参加をする。ママさんバレーでも良いし、学習サークルでも良い。継続的に地域にグループやイベント参加することで、同年代で気のあう友だちとつながりをつくることができるかもしれません。
もちろん、好きなミュージシャンやスポーツチームを応援する、という趣味のつながりでも良いと思います。同年代・中距離以内であれば選択縁に発展させることができます。
ネットやSNSが入口のつながりでも、同年代・中距離のつながりをつくれるかもしれません。
自分にあった、無理のないつながりの創りかたをすれば良いのだと思います。
といっても、大人になってから友だちを創ることは難しい・・・。
自分の課題は何か、を明確にする。

選択縁を説明するにあたり、よく例示されていたのは「子育て」という課題を共にする仲間によるつながりです。
いわゆるママ友です。
子育て、という共通の課題を共にした仲間同士は、強いつながりを創りやすい。
同様に、自分にとっての課題はなにかを考えることも、選択縁を創る入口になるかもしれません。
極端な例ですが、家族がアルコール依存症や精神疾患、借金に苦しんでいるのであれば、同じような苦しみを抱えている家族の会を探して参加してみる。
中には同じような年代の方もいらっしゃるでしょう。課題が強ければ強いほど、敵が強力であればあるほど、仲間意識は強くなります。
課題を自分の力だけで解決しようとするのではなく、仲間と一緒に解決しようとすること。その視点を持つことが、自分らしい自由で平等なつながりを創るきっかけになるのかもしれません。

